横浜ものがたり

観光都市横浜・港湾都市横浜をいろいろな角度から研究します。横浜の歴史・文化を学ぶことにより横浜の特性が浮かび上がってくると思います。

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2007年3月25日日曜日

横浜市について

市域は、鎌倉に幕府が置かれた13世紀から、本格的に開発され始めた。鶴見川や柏尾川などの河川流域では農業が、東京湾に面した沿岸部では漁業と海運業が発達した。江戸に幕府が置かれた17世紀以降は、東海道の宿場とされた神奈川宿、程ヶ谷(保土ヶ谷)宿、戸塚宿を中心に発展する。特に、神奈川湊を持つ神奈川宿は、江戸湾(東京湾)内海交通の要衝の一つとして栄えた。

現在の市名である「横浜市」は、神奈川湊の対岸にある武蔵国久良岐郡「横浜村」に因んでいる。これはかつては、砂州の上に形成された半農半漁の小村で、江戸時代末期まではこれと言った特色の無い寒村であった。現在、関内地区(中区)にあたる地域で、市政の中心街になっている。

その寒村横浜村の運命を一変させたのは、ペリーの黒船来航であった。1854年(安政元年)に横浜村で日米和親条約が締結され、1858年(安政5年)に神奈川沖で結ばれた日米修好通商条約に「神奈川」を開港するよう定めたことが、横浜の都市開発の発端となった。幕府は、東海道に直結し当時既に栄えていた神奈川湊を避け、外国人居留地を遠ざけるため、対岸の横浜村を「神奈川在横浜」と称して開港地とした。横浜村には、短期間で居留地、波止場、運上所(税関)など国際港の体裁が整えられ、安政6年6月2日(新暦1859年7月1日)に横浜港は開港した。横浜市では、6月2日を開港記念日としている。こうして、横浜は日本の玄関口となったことから、様々な文物をいち早く取り入れる国際色豊かな都市として発展し始めた。

横浜港は、開港当初から昭和初期に至るまで、綿花などの原料・鉄類・機械の輸入と、生糸・綿糸・絹織物の輸出を主とし、特に生糸貿易港として発展した。その後、京浜工業地帯の発展に伴い、鉄鋼・機械類・油脂の輸入と、機械類・金属製品・鉄鋼の輸入を主とする工業港となる。現在では、コンテナ貨物取扱や倉庫物流の拠点としても重要な役割を担っている。横浜港は、日本有数の貿易港となり、東京港、川崎港と併せて京浜港としてスーパー中枢港湾に指定されている。

また横浜港は、明治以来、海外渡航者の海路玄関口の一つとして、大さん橋や新港埠頭4号上屋に多くの客船や移民船が出入りした。しかし、東京オリンピックを境に海外旅行の主力は空路へと変わり、1970年代のオイルショック以降の海運不況を節目に、定期貨客船航路は衰退し、大さん橋から出入国する旅客は激減した。唯一ナホトカ航路が存続し、多くの若者に支持されたり、上海航路が新設された時期もあったが、1990年代初頭に廃止された。これにより2007年現在は外国航路の定期路線が存在せず、また地理的な観点から国内航路の定期路線も少ないため、国内主要旅客港との乗降客数の比較では、外国航路において大阪港の7分の1程度の規模、内国航路においては神戸港・東京港の30~20分の1程度の規模と、低い数値となっている。しかし1990年代以降はクルーズ客船による船旅が再び活発化しており、またFIFAワールドカップ日韓大会開催で国内外から訪れる観光客に誇れる立派な客船ターミナルが必要とされたこともあり、2002年に現在の国際客船ターミナルが建設された。横浜市は、新しい国際客船ターミナルの竣工にあわせてクルーズ客船の寄港誘致に市をあげて積極的に乗りだした。その結果、2003年度の横浜港の日本船籍のクルーズ客船の寄港数は、初めて国内第1位となった。

東京、川崎から続く市域の沿岸部には、京浜工業地帯が広がる。埋立地を中心とした地域には、鉄鋼業や化学工業などの大規模工場や、火力発電所が多く、内陸部にかけた地域は、部品や食品などの中小規模事業所が多い。商業の中心地は、関内地区から横浜駅周辺へと移っている。横浜駅へ鉄道路線を集中したことで横浜駅周辺は発展したものの、もともとの中心地であった伊勢佐木町や関内の相対地位の低下を伴ったため、その中間に位置する「みなとみらい21(横浜ランドマークタワー他)」を整備することで都心の一体化を目指している。

東京一極集中の恩恵を受けて大発展した横浜市であるが、1980年代から東京一極集中の弊害が論議され、都市の拠点強化が論ぜられるに至り、都市機能の集積や地域経済強化に注力している。また、「港北ニュータウン」の開発等、都心部強化と郊外乱開発の防止を行っている。現在、横浜都心は物流特区に認定され、新横浜地区がIT特区に認定されている。そのほか上大岡、戸塚、二俣川・鶴ヶ峰、鶴見、港北ニュータウンが新横浜と共に副都心として機能している。

横浜市の人口は、1942年(昭和17年)に100万人を超え、戦時中は減少したものの、1951年(昭和26年)に再び100万人を超え、1968年(昭和43年)に200万人、1986年(昭和61年)に300万人を超え、現在は360万6,797人(平成19年1月1日推計)となり、全国の市で最も多い。これは、1960年代から、東京を中心に首都圏へ放射状に伸び始めた、民間鉄道沿線の宅地分譲によるものである。市域から東京都心部へは、およそ30分から1時間で着くため、東京のベッドタウン、衛星都市としての性格も併せ持つ。特に、横浜都心に直接接続しない田園都市線沿線を中心に、横浜に住んで東京で働く「横浜都民」が増加している。

横浜市の当面の課題としては、幹線道路整備の遅れ(都市計画道路整備率は、平成17年度末で62.3%)による市内各拠点と郊外住宅地を結ぶ体系化の未達、昼夜間人口比率のアンバランス(平成12年国勢調査によれば、90.5)、市域の一体的な発展などがある。人口急増により、都市基盤整備や地域経済圏の確立が遅れてしまい、市内の一体感に乏しいとも指摘されている。直面する課題に向けた政策推進力が求められている。

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